「よーし、卒業まであと二ヶ月。お前ら、それくらいビシッとしろよ。では、解散」
「起立ー、礼」
号令が終わると共に、クラスが騒ぎ始める。ハヤトは教室の窓から空を眺めていた。
青空がどこまでも続いている。あれから、もう一年は過ぎたんだと感じる。
「そうか……。もうすぐ卒業なんだな、俺達も」
「はい。なんだか、名残り惜しいですね……」
隣の席でアリサが微笑む。
「ハヤトさん、そろそろ市役所の方に行かないと……」
「……? あ、ああ、そう言えば、今日行く事にしていたんだったな」
「はい。このまま行きますか?」
「いや、一度家に帰って着替えよう。そうじゃないと色々と問題あると思うから」
鞄を手にし、ハヤトが立つ。アリサも続いた。
手を握り、互いに微笑む。そして、そのまま下校するのだった。
学校の屋上で、彼は一つ年下の彼女とキスを交わしていた。
付き合って早くも一年。彼からすればもう飽きているところだった。
「ん……先輩……大好き……」
「…………」
――――。
「……そうか」
虚空から聞こえてきた声に、彼は静かにその唇を離した。
屋上から校庭を見下ろす。下校している生徒達の姿が見える。
その中に、彼女が彼と一緒に帰っていく姿があった。
「……全てを滅ぼす為には、あいつが必要になる。そして、奴が邪魔になる」
自分の腕に抱かれている彼女を無造作に捨て、彼は右手を空に掲げた。
闇が集まり、静かに剣が形成される。
「……わぁ、先輩凄いです」
怖がらず、ただ感嘆とする女子生徒。彼が彼女に言う。
「お前はもう必要ない」
「え……!?」
『死ね』
声が変わり、その瞬間、彼の手にする闇の剣から暗黒が放たれる。
女子生徒は小さな悲鳴を上げる。しかし、腰が抜けて逃げれなかった。
暗黒が女子生徒へ忍び寄る。
「や……先輩……助け……」
『不必要なものは全て闇に消す』
「いやぁぁぁ……」
女子生徒が暗黒に呑み込まれ、そのまま消えていく。
彼は虚空に存在する闇に呟く。
『"核"はどこへ逃げた?』
――――。
『分からないだと? まぁ良い。"核"が見つかるまでに、俺は奴の力を確かめる』
――――。
『手助けはいらん。たとえ、相手が王であろうとな』
その時の彼の瞳は、漆黒の闇で染まり、どこか不気味に輝いていた。
異世界ネセリパーラで長年続いた聖戦が終結を迎えて、ハヤトとアリサは何気ない日常を送っていた。
しかし、ハヤトは気になっていた。
最後に全ての根源である《冥帝王》が滅ぶ時の言葉を。
『……我滅びても……この星は救われぬ……!』
なぜか、不安に駆られる。それも、アリサを見ていると漠然に。
「……アリサは、俺の事好き、だよな……?」
「え……?」
ハヤトの意外な質問。しかし、アリサは少しだけ驚くだけですぐに答える。
「もちろんです。だって、私が愛する人はハヤトさんだけですよ?」
「……そうだよな。悪い、なんだか、変な気分だったから……」
そう答えるハヤト。アリサは静かに唇を重ねた。
突然の行動にハヤトは目を見開かせる。顔を紅潮させながら。
公共の場で、しかも学校の帰り道でこれはとても恥ずかしい。
アリサがゆっくりと離れる。
「……あ、アリサ!? 突然のキスは……」
「元気がない時はキスするとすぐに元気になります」
「……いや、そう言うものなのか?」
「そう言うものです。さあ、早く帰って市役所へ行きましょう、ハヤトさん」
「……そうだな」
そう言う事をして元気になるのはアリサじゃないのか、と言おうとしたハヤトだったが、止めた。
やはりアリサと一緒にいると、どんなに不安を感じてもすぐに安心できる。
それがアリサを見ていても、だ。ハヤトにとって、アリサは本当にかけがえのない人になっている。
「……そうだよな。ヴァトラスが自分の命を俺にくれてまで救った世界が、また闇に覆われるなんてないんだ」
小さく呟いた。
神崎家。この頃はアリサと一緒にいるが、やはり大きな家だとハヤトは思う。
現在、先代《霊王》でもある祖父が修行で山篭りをし、妹のサキが従姉のコトネの家に泊まるので尚更に。
ハヤトからすれば、もう修行する必要はないだろ、と言いたい気分だ。
しかも、門下生の事を放って。少しは神崎家の頂点に立っている事を自覚して欲しい。
「そろそろ身華光剣術の伝承の儀式が始まるのに、なぜ修行するんだろう、じじいの奴……」
神崎家の門の前で、ハヤトは呟く。
高校卒業してからは、ハヤトは先祖代々の剣術を受け継ぎ、神崎家の頂点に立つ事を決めた。
ネセリパーラで聖戦が終わっても、まだ全世界では人同士の争いが絶えない。
それを止めたいからと言う理由で、ようやく祖父から受け継ごうと思えた。
「やっぱり、あのじじいに勝つ方法は『無の太刀』だろうな」
伝承の儀式は、現在の神崎家の頂点に立つ人間と剣を交え、勝たねばいけない。
ハヤトにとって、その相手は祖父。最強の『無の太刀』を持つ男だ。
これに対抗して『無の太刀』を繰り出すか、違う技を選ぶか考える。
「同じ『無の太刀』でぶつければ、あのじじいも簡単に避けるだろうな……極めているから」
「ハヤトさん、何か聞こえませんか?」
アリサの一言。ハヤトがアリサの方を見る。
あの時――――聖戦の時でアリサが怨霊機の声を聞いた時と同じ瞳だ。
ハヤトも耳を澄ましてみる。「助けて」と言う声が聞こえた。
光が目の前に現れる。二人は驚いた。
「光……――――!?」
体が熱い。瞳が無意識に『太陽の如く燃え盛る光の瞳』になる。
ハヤトの中で眠る力が反応していた。封印していたはずなのに。
アリサがハヤトを見て不安になっている。ハヤトは静かにアリサの肩を抱いた。
光に満ちた瞳が、静かに光を睨みつける。そして、ハヤトは目を見開いた。
幼い女の子が中にいる。まだ三、四歳くらいの女の子が。
「女の子、ですよね……?」
「……ああ。一体、なぜ……?」
アリサが少女を包み込んでいる光へ手を差し伸べる。光はアリサに近づいた。
少女を優しく抱き上げると、光が消えていく。
背中まであるだろうと思う長い青髪で、ローブのような黒色の見た事がない服装。アリサがハヤトに言う。
「……この服は、確かリュレイク――――地球で言う罪人の服装です……」
「罪人……!? こんな幼い子供が!?」
「はい……。この服装は確かにリュレイクの……」
封印しているはずの力が反応している理由はこれなのか、ハヤトはそう思った。
しかし違った。家の屋根に闇が集まっている。反応しているのは闇の方だ。
鈎爪を持った獣人のような化け物が少女を睨んでいる。
『……見つけたぞ。さぁ、俺の力となるが良い……!』
「……誰だ、お前は?」
瞬時に神の領域である"聖域(=ゾーン)"に入り、冷静に訊く。化け物はハヤトを静かに睨んだ。
『……人間、殺されたくなかったら……大人しくそいつを渡せ……!』
「……なぜ、こんな幼い子を渡さないといけない?」
『それはお前が知る必要なんてない……。渡さなければ、お前達を殺してでも手に入れる……!』
「……断る。それに、倒されるのはお前の方だ」
『……人間如きが、我を見下すな!』
化け物がハヤトに襲い掛かる。ハヤトは右手に霊力を集中した。
光が溢れ、光と共に剣が誕生する。
ハヤトが光輝く剣を構える。霊力によって背中に翼が生える。
化け物が鈎爪を向ける。剣が振り落とされた。
「究極の太刀、最終剣! 闇鳳凰光翼斬ッ!」
霊力で生み出された翼が化け物を覆い、剣が化け物を斬る。
先祖代々伝わる身華光剣術の影なる存在とも言える究極の太刀。
その奥義こそ、ハヤトが放った闇鳳凰光翼斬だ。使い方次第では『無の太刀』より都合が良い。
化け物は信じられなかった。人間如きに自分が負けるとは思っていなかった。
ハヤトの瞳を見る。太陽の如く燃え盛る光の瞳。それを自分は知っている。
『お、お前は……まさか……た、太陽の……!?』
「……俺は王じゃない。全世界の平和を願う人達の中の一人だ」
『うが……がぁぁぁぁぁぁ……』
化け物が瞬時に光に変えられる。それは、紛れもない光の力だ。
ハヤトは不思議に思った。封印したはずの力がまだ使える事に。
アリサに近寄り、優しく抱きかかえられる少女を見る。
その可愛らしい寝顔は、どう見たって罪人とは思えない。
「……ネセリパーラで何かが起きているのでしょうか……?」
「……分からない。けれど、封印していたはずの力が反応した。……何かが始まろうとしているかもしれない」
「……聖戦、ですか?」
「分からない……。とりあえず、シュウ兄とコト姉に相談してみよう。この子の事もある」
謎の化け物。封印していたはずの力。そして、ネセリパーラで罪人になっている少女。
ハヤトは光の瞳のまま青空を見上げた。
「……嫌な予感がする。また、何かが始まりを告げようとしている」
小さく呟いた。
その日の夕方、すぐに従兄であるシュウハが来た。
ハヤトとアリサの目の前に現れた少女は目を覚ましたが、一人黙り込んだままだ。
とりあえず、ネセリパーラで罪人を意味する服を着替えさせている。
リビングでシュウハがハヤトに一枚の書類を渡す。
「これは?」
「お前達の婚約成立の書類だ。市役所で働いている神崎家の人間に頼んだ」
「……サンキュ」
こんなものを持ってくるとは思わなかったが、とりあえず礼だけは言っておく。
聖戦が終わりを告げ、式を挙げてから約一年。二人は卒業と言う事も考えて正式に地球での婚約を決めた。
ただ、アリサが「アリサ=エルナイド」から「神崎アリサ」になるのは卒業してからだが。
シュウハがハヤトに訊く。
「祖父は?」
「山篭り。しかも、門下生を俺に押し付けて。高校生の俺にそんなの押し付けるなって話だよ」
「確かに、この時期は修行をやる場合があるからな。仕方ない、門下生の事は他の人間に頼みます」
「ああ。そうしてくれ」
『ハヤト来てやったぞ、接客しな』
玄関からコトネの声が聞こえる。ハヤトは命令口調の従姉に対して苦笑するしかなかった。
渋々と玄関まで行かず、そのまま待つ事はしない。命が惜しい為に。
シュウハは眼鏡を外す。その時、何かを引っ叩いたような音が無数に聞こえた。
『遅い。人様が来たらすぐに出迎えなっ』
『……だからって、すぐに音速ジャブはないだろ』
『全部受け止めておきながら何を言うんだい? しかも片手で』
『だって、全部見切れているから』
直後、殴られる音が響く。眼鏡を拭きつつシュウハは軽く笑いを溢す。
確かに姉は強い。女性でありながら、銃を前にして拳一つで挑んだ事もあるので尚更。
当時、その話を聞いたハヤトとシュウハは言う「この人に逆らったら、死ぬだけじゃ救われない」と。
ハヤトがコトネと共にリビングへ入ってくる。台所からアリサが姿を現した。
「コトネさん、いらっしゃいませ。今から晩御飯を作りますけど、頂きますか?」
「いや、食べて来たから遠慮するよ。それで、何を作っているんだい?」
「はい、今日は頑張って、ファンティリムを作りました」
「ファンティリム? ネセリパーラの料理かい?」
「はい。牛肉を牛乳とレモンでじっくり煮てから、塩コショウをまぶして焼いた料理です」
その言葉に、ハヤトは「ステーキのようなもの?」と思った。
どこか食べたくないような気もするが、アリサの作った料理なのだから、美味しいのだろう。
「しっかし、段々と主婦らしくなってきているじゃないか。それで、子供はいつの予定だ?」
「コト姉!?」
「ふふっ、いつでも準備万端です」
「って、アリサ!?」
顔を真っ赤にしてハヤトが驚く。シュウハはのほほんとお茶を飲んでいた。
どんなに冷静さを保てても、アリサとコトネの前では打ち崩されてしまう。
「それで、あの子かい? 突然光と共に現れたってのは」
コトネが黙り込んでいる少女を見つつ訊く。ハヤトは頷いた。
「ああ。しかも、あの子が最初に来ていた服は、なんでもネセリパーラで罪人を意味するらしい」
「なるほど、リュレイクか。妙だな」
「そう思うだろ、シュウ兄も。幼い子供が罪を背負うなんて、絶対にないんだ」
「あるとすれば、内部に力を秘めていて、それを無意識に放った時くらいだろうね」
コトネの言葉にハヤトはすぐに反応した。
秘められた力で人を殺す。そうすれば罪人を意味しても変ではないだろう。
しかし、それならば早くに封印できるはずだ。
「……あの子が、その力で人を殺したって言うのか!?」
「怒鳴るな。それに、あの子がそんな力を持っているとは誰も言ってない。
あたしが言ったのは、幼い子で罪人になる可能性だ。けど、あの子はそんな力持ってないよ」
「…………」
「確かに、霊力も感じないから普通の人間と同じだ。
ただ、あの子がどうやってネセリパーラから来たのか分からない」
「……俺とアリサの前に現れたのは偶然なのか?」
ハヤトが訊く。シュウハは首を横に振った。
「いや、それはおそらく、お前が全世界を救う力を持っているからだろう。
あの子を包んでいた光が現れる時に、声が聞こえたのだろ?」
「……うん。『助けて』って言う声がした」
「まさかとは思うが、何かが全世界で起きようとしている」
「けど、あいつは倒れたんだ! そんな訳……」
ハヤトの頬を汗がつうっと流れ落ちる。
「その辺に関しては、神崎家の諜報部員に行ってもらいましょう」
「……ああ。頼む、シュウ兄」
「じゃあ、あとはあの子だけですね」
料理をテーブルに並べつつ、アリサが微笑んだまま言う。ハヤトは頷いた。
アリサは少女に近寄る。少女はアリサを見て怯えた。
「怖がらなくて良いですよ。私はあなたとお話したいだけだから。ね?」
優しく微笑む。ハヤトはアリサのそんな表情を見て「可愛いと言うより、綺麗だよな」と呟いた。
少女の隣にアリサが座る。
「あなたのお名前は分かりますか?」
「……ユキ……ノ……」
「ユキノちゃん……可愛いお名前ですね。ユキノちゃん、お父さんとお母さんは?」
「パパと……ママ……?」
ユキノと言う少女の目に涙が浮かぶ。
「……パパとママ……いない……」
「そう……」
アリサが優しく抱きしめる。ユキノの瞳に浮かぶ涙をそっと拭きながら。
ハヤトは静かにその姿を見ていた。しかし、すぐにアリサの元へ寄る。
アリサの側でハヤトが少女に訊く。
「じゃあ、どこから来たのかも分からない、よね?」
少女が頷く。ハヤトは少女の頭を優しく撫でた。
コトネがそんな二人を見ながら、ふと訊いてみる。
「そう言えば、あんた達は結婚してから、もう一年経つんだっけ?」
「あ、ああ。それぐら――――まさか、コト姉……!?」
嫌な予感が頭を横切る。
「ちょうど良いじゃないか、この際あんた達が親になれば」
「……やっぱり。って、まだ俺達は高校生だぞ!? 学校に行ってる時はどうするんだよ!?」
「そこら辺はあたしが面倒を見る。うちのチビ達と一緒にね。
まぁ、別に良いじゃないか。ただ早くも子供ができただけだ。三歳くらいの」
「流石は姉さん。正しい判断です」
あえてシュウハはコトネの意見に賛成している。ハヤトはため息をつきたかった。
しかし、確かにこの子は可哀想だ。昔の自分と合わせると尚更に。
アリサがハヤトの頬にキスする。ハヤトは突然の事で焦ったが、次の言葉を聞いて驚いた。
「ユキノちゃん、私とハヤトさんがパパとママになってあげます。ママって呼んでみてください」
「……あ、アリサまで!?」
「良いじゃないですか。だって、私達はもう夫婦ですし」
「確かに、そうなんだけど……」
それに、いきなり自分達が父と母になると言われれば、ユキノだって困るだろう。
そう思っていたハヤトだったが、ユキノの返答は唖然とさせた。
「……パパ……本当にパパって呼んで……良い……の……?」
「え゛……!?」
「はい。ですから、私の事はママって呼んでくださいね」
ちなみに、アリサが楽しそうだと言う事を忘れてはならない。
ハヤトは諦めた。ここで反対意見を出せば、確実にコトネから殺されると分かっている為に。
「……分かったよ。パパって呼んでみて。ほら」
優しく少女に微笑んでいる二人。アリサが少女の頭を撫でると、ユキノは少しだけ笑顔になった。
アリサに抱きしめられながら、やや照れている。
「パパ……ママ……」
「うん」
「はい」
「……えへへ……パパ、ママ……」
段々と笑顔になっていくユキノの前に、ハヤトとアリサは互いを見つめた。
確かに早過ぎるけど、どこか嬉しい気分だった。
こんなに笑顔が可愛い子が、どう見たってリュレイクなどと言う罪人には思えない。
ハヤトはそんな事を思いつつ、ただユキノの頭を撫でていた。
この時、闇は早くも動き出そうとしていた――――
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