「それじゃ、コト姉、ユキノを頼む」
「ユキノちゃん、コトネさんの言う事を聞いて、良い子でいてくださいね」
朝八時。神崎家の玄関で、アリサはユキノの頬に優しくキスをした。
ユキノが照れている。ハヤトが頭を撫でると、ユキノは目を細くして喜んでいた。
「なるべく早く帰ってくるから、良い子にしているんだぞ、ユキノ」
「うんっ。いってらっしゃい、パパ、ママ!」
「はい、いってきますっ」
仲良く手を繋ぎ、一緒に歩いていく。
そんな二人を見送りながら、コトネは少しだけ欠伸を漏らした。
「……ったく、こんな事引き受けるんじゃなかったよ」
自分から言っていたので自業自得だから、文句は言えない。
しかし、神崎家で保育関係の仕事をやっている奴に頼もうかと思っても、どうせ暇なのでやめる。
天気を確かめつつ、ユキノの手を優しく握り、コトネが玄関の戸を閉めた。
「さて、今日は雨が降りそうだから本でも読んでやるかね。何が読みたい? ……って、分からないか」
「……?」
「気にするな。とりあえず、二人が帰ってくるまで一緒に留守番だ」
「うんっ」
コトネが何を言っていたのか分からないまま、ユキノは返事をするのだった。
一緒に学校に行く途中、ハヤトは空を見上げていた。
どんよりとした天気。今日は雨が降るだろうと予測する。
「……一雨来るかな、多分。折りたたみは一応持ってきているから大丈夫だけど」
「それよりも、ハヤトさん。ユキノちゃんの事、ありがとうございました」
「別に良いよ。それに、あの子の気持ちは分かるから」
生まれた頃から、両親の愛情を知らずに育ってきたせいか、ユキノの寂しさはよく伝わっていた。
確かに、突然父親になれと言われて断ろうとも思ったが、どこか躊躇われた。
「……確かに、最初は拒否しようと思ったけど、ユキノを見てて止めたんだ。
それに……パパって呼ばれるのも良いかなって……」
「ふふっ。私も、ユキノちゃんからママって呼ばれると嬉しいです」
「……ユキノも一緒に幸せになっていこうな、アリサ」
「はいっ」
登校中と言う事にも関わらず、二人はキスを交わした。
「うぉぉぉ〜、ビッグニュース! ビッグニュース!」
ドタドタと廊下を走り、自分の教室に入る丸坊主頭の生徒。
同級生である四人が集まっている席に向かい、入手した情報を流す。
「聞いたか、昨日、うちの学校の女子が行方不明になったんだってよ!」
それを聞いて、彼らは全く驚かない。
「……豊、もう僕達も知ってるよ」
「何!?」
親友である眼鏡をかけたガリ勉君の舘林慎吾の一言を聞いて、丸坊主の亀田豊が驚く。
「うむ。その情報なら昨日のうちに入手した」
「……加賀見君、そう言う事は早いね」
「って言うか、馬鹿でしょ、陽平」
陽平の一言を聞いて、片桐美香と御堂えんなが呆れる。
亀田は教室の隅で落ち込んでいた。せっかく入手した情報を、もう皆知っていると言う事実を知って。
そんな時、ハヤトとアリサが登校してきて、自分達の席に座る。ハヤトの席に皆集まった。
「おはよっ、神崎君、アリサさん」
「おはようございます、美香さん」
「よう。それで、あいつは何で落ち込んでいるんだ?」
亀田を見つつ、ハヤトが訊く。
「昨日の事をすでに僕達が知っていたから落ち込んでるだけ……」
「昨日の事? 何か起きたのか?」
「そう言えば、ハヤト達は先に帰ったんだっけ。昨日から、うちの学校の女子が行方不明になってるのよ」
えんなの言葉を聞いて、ハヤトが目を見開く。
わずかだが、封印していた光の鼓動がドクンと熱くなった。
「行方不明?」
「そうだ。俺達の一つ年下の女子で、昨日の放課後からいなくなっている」
「……昨日の放課後? って、陽平、意外と詳しいな。一つ年下の後輩とか」
「当然だ。職員室に盗聴器を仕掛けていたからな」
瞬間、小槌が陽平の頭を襲う。
「んなもの仕掛けてんじゃないわよ、あんた! 大体、前に風紀で言ったでしょーが!」
「むぅ……」
あれだけ強烈な一撃を受けているのにも関わらず、陽平は唸るだけだった。
ハヤトがため息をつく。アリサがそれを見て訊いた。
「どうかしましたか?」
「……いや、ただ呆れただけ。陽平、そろそろ卒業なんだから大人しくしとけよ」
「うむ……」
昼休み、昼食を屋上で食べようと言う亀田の発案で、ハヤト達は屋上に来ていた。
「うわぁ、アリサさんの卵焼き美味しそうだね」
「そうですか? ありがとうございます」
「えんな、それは糖分が多い。太るぞ」
「うっさい! あんたは黙って干し肉でも食べてろ!」
盛り上がる中、ハヤトは一人だけ空を眺めていた。
どんよりとした曇り空は、いつ雨が降るのか心配になる。
「――――!?」
太陽の鼓動がドクンと疼いた。『太陽の如く燃え盛る光の瞳』になろうとしている。ハヤトは必死に抑えた。
辺りから力を感じ取る。ほんの少しだが、闇の力の残留が漂っているのは間違いなかった。
隣に座るアリサが、箸の進んでいない事に気づく。
「……ハヤトさん、食欲がないんですか?」
「え!? い、いや……ちょっと考え事をしていただけだから……」
「食欲ないんだったら、俺にくれ、神崎!」
「……誰も食欲ないなんて言ってないぞ」
昼食を終えて教室に戻る時、ハヤトは「もうしばらくしてから戻る」と一人残った。
いや、陽平も一緒だった。ハヤトの様子に気づいたらしい。
「何かあったか?」
「……お前は感じないのか、闇の力を?」
「……いや」
霊力者には感じないようだ。やはり、封印していたはずの太陽の鼓動が動き出している。
胸騒ぎがする。今感じている闇の力に対して。
「……影、そこにいるんだろ?」
途端、ハヤトの後ろから一つの人影が浮かび上がった。
『御意』
「……アリサとユキノの護衛を頼む。あと、『至急、異世界に連絡を取ってくれ』とシュウ兄に伝えてくれ」
『分かりました。しかし、ハヤト様の護衛は?』
「必要ない。自分の事くらい、自分で守る」
そう言うと、後ろの人影がすうっと消える。陽平はやや驚いた。
ハヤトの家系は色々とあると知っていたが、ああ言う輩もいるとは思わなかった。
「さて、教室に戻ろうぜ、陽平」
「うむ」
ハヤト達が屋上から姿を消した時、彼も屋上にいた。
「へぇ……、闇を感じる事はできるんだ」
昨日、結構力は消したはずだが、流石は王だと思う。
虚空に存在する奴に話し掛ける。
「”核”の反応は?」
――――。
「まだ見つからない? 地球に逃げたのは確かなんだろ?」
――――。
「もう少し探してみるんだ。王が異世界に行くまでに」
闇に染まった瞳が、不気味に輝く。
放課後、いよいよ天候が悪いと思ったのか、ハヤトはすぐに準備をした。
アリサも準備を終える。
「よし、帰ろうか」
「はい」
「先輩〜!」
そんな矢先、彼女は現れた。まるで、タイミングを待っていたかのように。
ツインテールからポニーテールに髪を変えた後輩、紺野美咲。
彼女の登場に、ハヤトはため息をついた。
「先輩、今日はケーキを焼いてきました!」
そう言って白い紙箱をハヤトに渡す。開けると、そこにはショートケーキが入っていた。
「普通のショートケーキ、ですよね?」
「……見た目はな」
見た目は本物でも、味が全く違うものを作るのが紺野美咲である。
「愛情込めて作りましたから、食べてくださいっ」
「……だそうだ。亀田、お前にやる」
「俺かよ!?」
たまたま近くにいた亀田を捕まえる。当然、彼も嫌そうだった。
一度、ハヤトから奪って食べた事があるが、その不味さを知ってトラウマになっている。
紺野がハヤトにケーキの入った箱を押し付ける。
「食べてください!」
「だそうだ。俺は駅前のたこ焼きでも食べに行くから。んじゃな〜」
そう言って逃げていく亀田。ハヤトは覚悟を決めた。
試しに一口食べる。人参、カボチャ、その他、野菜の味が大量にした。
「……紺野、何入れた?」
「はいっ。人参とカボチャとレモンとピーマン、それから……」
「……いや、もう言わなくて良い」
どうすれば、普通のショートケーキと同じ見た目のケーキが作れるのか訊きたい。
アリサがケーキの味を確かめつつ、紺野にアドバイスする。
「紺野さん、野菜は人参かカボチャだけでいいですよ。そっちの方が美味しいですし」
「そうなんですか!?」
「はい。ですが、ハヤトさんは渡しませんっ」
ハヤトの腕を取りつつ、アリサが言う。
「……っと、アリサ、先に帰っててくれるか? 少し調べたい事があるんだ」
「え? でしたら、私も一緒に……」
「いや、アリサは先に帰ってて。な?」
「……分かりました」
ユキノが待っている事を思い出し、アリサが頷く。
ハヤトはそのまま鞄を手に、教室を去っていった。
ハヤトはすぐに屋上へ向かった。
昨日の行方不明は、間違いなく屋上で感じた闇が関係していると判断したからだ。
屋上の扉を開ける。そこには、一人の男が立っていた。
「やぁ、初めまして」
「……誰だ、あんたは」
瞳が自然に光り輝く瞳へと変わる。男はそれを見て目を細めた。
「待っていましたよ、太陽の王。あなたを始末します」
男が腕を振り下ろす。闇の刃が放たれた。
ハヤトはそれを避けつつ、右手に霊力を集中した。
しかし、光が集まらず、剣が形成されない。
「……!?」
「言い忘れましたが、この学校に結界を張らせて頂きました」
「何!?」
「あなたを始末する為には、どうしても、あなたの霊力が邪魔なのでね」
迂闊だった。まさか、霊力を封じる結界を張られていたなんて。
闇の刃が容赦なく襲い掛かってくる。
「くっ……!」
鞄から折りたたみの傘を取り出し、それを振るう。
「朱雀明神剣!」
放たれる無数の竜巻。闇の刃を打ち消した。
しかし、それで終わった。傘は耐えられなかったのか、完全に折れている。
ハヤトは苦笑する。「買ったばかりなんだよな、確か」と呟きながら。
ポツポツと雨が降り出す。
「……振ってきたか」
雨だと動きが鈍くなる。早く終わらせたいところだが、それは難しかった。
武器がない今、剣術は使えない。だからと言って、体術は難しかった。
「……さて、どうするかな。せめて、何か振るうものがあれば楽なんだけど」
次第に雨が激しくなる。
雨が降り出し、アリサは玄関の方を何度も見た。
まだハヤトは帰ってこない。ユキノがアリサのエプロンの端を握る。
「ママぁ……パパ、まだ……?」
「……大丈夫。もうすぐ帰ってくるはずよ」
微笑み、頭を撫でる。しかし、アリサは不安だった。
何かあったのだろうかと思うと、余計に。
「ハヤトさん、早く帰ってきてください……」
ユキノをリビングへ連れて行きながら、そう呟く。それを、彼は聞いていた。
天井裏から、小さな穴を通して全てを聞く。
(……ハヤト様はまだ戻られていないか)
何か嫌な予感がする。様子を見に行きたいが、主の命を背く訳にはいかない。
(さて、どうしたものか……)
(簡単じゃ。わしが二人を守るから、お主はハヤトを助けに行くがいい)
ふっと隣に現れる一人の老人。彼は驚いた。
ここまで気配を消して自分に近づける者はそう多くはない。
老人が何者か確認する。
(ご、ご当主!?)
(うむ。久しぶりじゃな)
(な、なぜご当主が天井裏などに!?)
(なに、わしの気まぐれだ)
老人――――神崎家当主の獣蔵が彼に剣を渡す。
(これを持ってハヤトの元に行け。こっちは、わしがおる)
(し、しかし……)
(当主直々の命令じゃ)
(……分かりました)
そして、瞬間的に消える。
制服が雨でずぶ濡れになる。ハヤトは肩で息をしていた。
男がハヤトに対して勝利の笑みを浮かべる。
「どうやら、ここまでのようですね、太陽の王」
「……くっ」
手を振り上げる男。刹那、一閃が襲い掛かった。
男がそれを避ける。ハヤトは目を見開いた。
黒い服装に身を包んだ青年。片手には、神崎家に伝わる霊剣を手にしている。
「か、影!?」
「……ご当主からのご命令で、駆けつけました。これを」
そう言って霊剣を渡す。ハヤトは素直に受け取った。
伊賀影王。神崎家に仕える伊賀家きっての最有力忍者の一人。
その実力は次期頭領と言われている。
「神崎家に仕えし伊賀家の忍び、影王。いざ参らん!」
「ふっふっふっ……一人増えたところで、私を倒せると思っていますか?」
「余裕だな。霊剣があれば、お前くらい倒せる」
霊剣を振り構える。
「青龍破靭斬!」
放たれる翼を持った龍の波動。男はそれを避けきれなかった。
波動が男の腹部を捉える。影王も動いた。
空高く跳躍する。
「……いきます。龍牙王、出陣!」
影王を中心に炎が描かれ、巨大な龍の姿を見せる。
影王が誇る最大の忍術、龍牙王出陣。その威力は、ハヤトの剣技に迫るほどだ。
巨大な龍が男を捉える。男は影王の瞳を見て、目を見開いた。
「その瞳……もしや……ああ……あぁぁぁぁぁぁ……!?」
「龍よ、灼熱の炎で悪しき者を討て」
炎が男を燃やす。ハヤトは安堵の息をついた。
あのまま、影王が来なければ危なかった。
「はぁ……。助かった。ありがとな、影」
「いえ。ハヤト様をお守りする事が、私のお役目ですので」
「……なぁ、いい加減、『様』つけるのやめないか?」
「なりません。これは、ケジメです」
影王に対し、ハヤトは苦笑するだけだった。
そんなハヤトの姿を、彼は静かに遠くから見ていた――――
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