第7話 手の温もり


 その日――――夏休みまで残り3日を切ったある日、勇真は進学課外には出席していなかった。
 不思議に思った秋月薫子が、小さな溜め息をつく。
「高村君、今日も来てない……」
 部活が忙しいのか、それとも、期末テストの結果が悪かったのだろうか。
 本人に訊いてみないと分からない。
「……部室にいるのかな? 見に行ってみようかな……」



 作品製作部の部室。大会まで2ヶ月しかない状況でも、製作部の活気はほとんど無かった
 否、活気はあったとしても、ロボットを製作すると言う意欲が無い。
「高村がいないと静か過ぎるぜぇ!」
 と、声を出したのは副部長の深町だった。同じく副部長の西村が言う。
「こう言う時は、副部長の深町先輩が率先してロボット作らないといけないんじゃ?」
「何言ってんだよぅ! お前も副部長だろ!」
 そして、結局何もしない。この二人はこんな感じだった。
 一人で黙々と何かをやっている末広は、完全に自分だけの世界に入っている。
 勇真がいなければ、彼らは何もしようとしなかった。一年である優菜が疑問に思う。
「高村先輩、ここ最近来ないですね……」
「隆盛、高村はどうしたんだよぅ!」
「知らな〜い。気づいたらいなかったし」
 勇真がなぜ部活を休んでいるのか、それは誰にも分からなかった。
 分かっているのは、学校には来ていると言う事だけ。
 しかし、彼らは考えなかった。顧問や勇真の担任に訊くと言う選択肢を
 その時、部室の入り口の扉が開く。それを聞いた深町が声を上げた。
「サボるなよぉ、たっかむらぁっ!」
「高村君、部活にも来ていないの?」
『えぇ!?』
 予想外の声に、製作部のほとんどの部員が入り口を見る。秋月薫子がそこにいた。
 深町が即行で彼女の前に立つ。
「秋月さーん! 俺に用!?」
「ううん、高村君いるかなって……」
 その言葉に、深町が撃沈する。そして、深町は思った。勇真許すまじと。
 優菜が話し掛ける。
「高村先輩なら、ここ最近来ていないですよ。学校には来ているそうなんですけど……」
「そうなんだ……ありがとう、教えてくれて」
 そして、製作部の部室から出て行く。



 学校には来ていると言う情報を得た薫子は、一人の男子生徒と会った。
 勇真のクラスメイトであり、一緒の中学出身である桜野祐一。
 売店前の自販機で話を聞いた祐一が、うーん、と唸る。
「あの勇真が部活にも行ってないのか。確かに1年の時はサボり癖あったけど……」
「期末テストはどうだったの?」
「勇真の奴は、確かいつも通りだったな。追試は無かったはずだ」
「じゃあ……」
 なぜ、勇真は部活や進学課外に出ないのか、薫子は疑問に思った。
 しかし、何かを知っていると思った祐一でも、何も知らなかった。
 薫子の様子を見ながら、祐一が言う。
「あいつの事を何か知ってそうな奴は、一人いる」
「本当? それって……」
「同じクラスの奴だ。名前は――――」

「よう。こんな所で何やってんだ? 告白か? そうなのか?」

 と、一人の男子生徒が話に割り込んでくる。勇真、祐一と同じクラスの寺田恭二だ。
 祐一がすぐに彼の肩を掴む。恭二が驚く。
「な、何だよ!? まさか、本当に告白なのか? 良く見れば、秋月薫子……」
「告白じゃないが、良いタイミングだな。と言うか、何でまだ学校にいるんだ、お前?」
 祐一の質問に、恭二が言いたくなさそうに答える。
「……追試だよ。この間の期末、二つも赤点取っちまったからよ……」
「なるほど。お前に訊きたい事がある」
「んだよ? 何点で赤点になったのか訊くのか?」
「違う。勇真の事だ」
 恭二が目を逸らす。やはり、と祐一は確信した。絶対に恭二は何かを知っている。
「話せ。何か知っているんだろ」
「…………」
「話してくれたら、次のテストでのヤマを教えてやる」
「マジか!? ……勇真には俺が言った事は内緒だからな?」
「ああ」
 祐一が頷く。恭二は軽く息を吐いて話し出した。
「俺も親から聞いた話なんだけどよ。勇真の奴、進学できないらしい。それが原因じゃね?」
「進学できない? 勇真は合格しただろ、確か」
「ああ。けど、できないって話だったぜ。詳しい事は俺にも分からねぇけど」
 恭二の言葉に、二人が顔を見合わせる。
 原因がそうだとして、なぜ進学できないのか、それがまだ疑問だった。
 恭二が話を続ける。
「俺の予想だけど、あいつの親父さん、勇真には厳しいからなぁ……進学は反対されたんだろうなぁ」
「勇真には厳しい?」
「おう。知らないだろうけど、あいつ、中1の時は学年1位だったんだぜ?
「学年1位? 勇真が?」
 まさかの事実。驚く祐一に恭二が頷く。
「驚きだろ?」
「なるほど。だから、あまり勉強してなくても平均点程度は取れる訳だ」
「高村君って、結構頭良かったのに、どうして勉強しなくなったの?」
「勇真には兄貴がいてな。その兄貴が色々と問題あったらしくて、先生に目をつけられていたんだ」
 中学から知り合った勇真は、勉強が好きで塾等行かなくても、誰もが妬むほどの成績だった。
 しかし、勇真の兄は様々な問題を起こした結果、勇真はそれだけで酷い仕打ちを受けた。そう、恭二が話す。
「とんでもなかったぜ? 学年1位でも、通知表には一つも5が無いんだからよ」
「それは酷くないか? いくら、兄が問題あったとは言え……」
「ああ。だから、勇真も反発してた。向こうは聞く耳持たなかったけどな。
 で、話を戻すけど、勇真の成績には、親父さんが誰よりも厳しかったんだよ」
「……なんとなく、予想できた。5が無いってだけで怒られていたのか?」
「その通り。さらには、2が一つでもあったら怒られていた。1なんて取ったら殴られてんじゃねぇか?」
 勇真は成績が良かった。しかし、通知表は5段階評価で3か4がほとんどだった。
 それでも、成績としてはまだ良い方ではある。だが、勇真の父はそれを評価しなかった。
 5段階評価で5が無い、2が一つでも有る。それだけで勇真は叱責を受けていたのだ。
「それが一年続いた事もあって、勇真は勉強しなくなった。勉強しても、しなくても変わらないと分かって」
「だろうな。本人がどれだけ努力しても、それが結果として評価されない上に、怒られてるならな」
「高村君、凄く辛い思いをしていたんだね……」
 そう思うと、薫子は胸が苦しくなった。勇真は、今で言えば祐一のような人間だった。
 違うのは、それを大人は誰も評価していなかった為。勇真を見ていなかった為。
 恭二が話を進める。
「勇真の事だから、進学できなくなったのは、親父さんに反対でもされたんじゃねぇか?
 あいつだけらしいからな。親戚とかは普通科ばっかなのに、勇真だけ工業科選んだって言うし」
「それは俺も疑問に思った。そこまで良い成績だったなら、普通科の方が良かっただろう」
「俺も中3の時訊いたぞ。そしたら、あいつは『夢がある』って言ってた」
「夢、か。勇真らしい理由だな」
 だからこそ、勇真は誰よりも凄いと祐一は思った。
 そして、確信した。勇真は進学を諦めたのではない。”諦めさせられたのだ”。
 祐一が溜め息をつく。
「あいつが今部活とかサボっているのは、そう言う事か」
「どう言う事?」
 薫子が訊く。祐一は頷いた。
「予想だが、あいつは今まで考えていた事とかが全部ダメになって、落ち込んでいる」
「…………」
「立ち直るには時間が掛かるな……下手したら、夏休み中は引き籠る可能性も高い」
「でも、そんな事したら確か……」
「ああ。部活で大会に出る為のロボットは間に合わないだろうな」
「そんな……」
 薫子が走り出そうとする。祐一がすぐに止めた。
「待て、秋月。勇真は家にいるか分からないぞ。そもそも、あいつの家知らないだろ」
「それでも……それでも探さないと!」
「探すなら、俺が探す。じゃないと、お前、夜遅いのは不味いだろ」
「でも!」
「分かってる! 俺と恭二で心当たりを探す。秋月は、今日は家に帰れ。また夜でも連絡する」
「…………」
 祐一の言葉に、薫子は納得できなくても頷くだけだった。



 夜6時過ぎ。勇真は一人でベンチに座っていた。
 特に理由もなく、ただ、持っている自転車で走り回って見つけた公園。俯く顔は、強く歯を噛み締めていた。
「…………」
 突然告げられた、進学を諦めろの言葉。そして、今までの自分を否定される言葉だけが脳裏に繰り返される。
「……っ……くっ……」
 涙を堪える。勇真は、両親や親戚に言われた次の日から行動した。
 金が無いと言うのであれば、奨学金等の制度をとにかく調べ、電話で直接訊く。
 そして、少しでもお金を持つ為にとアルバイトも探した。
 しかし、結果は残酷だった。様々な制度は出す事はできないの一言。
 アルバイトに至っては、部活と活動の時間について話しただけで断られた。
「……所詮、こんなものだったのか……」
 自分の夢を叶える為にしてきた努力は、とても小さく、とても惨めだった。
 なぜ、自分はこんなにも無力なのか、なぜ、自分は今まで馬鹿な事をしていたのか。
 そう思う。気づけば、目の前には何も無かった。自分には何も無かった。
「…………」
 とりあえず持ってきた鞄を開ける。中には、部活で使っている工具が入っていた。
 その中からカッターナイフを取り出す。
「……どうせ考えても、夢が叶う訳じゃない……」
 だったら、このまま何も考えないようにしよう。もう、考えるのは辛い。苦しい。
 カッターナイフをチキチキと動かして、刃を伸ばす。替えたばかりで切れ味抜群の新品の刃。
 構え、左手首を見る。
「…………」

 ――――。

 勇真が死のうとした瞬間だった。遠くから聞こえる足音。速く、そして近づいてくる音。
 カッターナイフを持つ勇真の手が叩かれ、遠くへと飛ばされる。勇真は叩いた相手を見た。
 秋月薫子だった。荒れた呼吸、構えられている鞄を見る限り、手は鞄で叩かれたのだ。
「…………」
「……っ!」
 勇真をキッと睨み、薫子が勇真の頬を叩く。勇真は目を見開いた。
「…………」
「……にやってるの……何やってるの、馬鹿ッ!」
 薫子が怒鳴る。その声の大きさに、周囲にいた鳩やスズメが驚いて飛び去っていく。
「最近、進学課外にも来ないし……ずっと心配して探して、見つけたと思ったら、カッター持って……!
 自分が何をしようとしていたのか分かってるの!? 自殺しようとしてたんだよ!?」
「……ってる」
「どうして、そんな事するの!? そんな事しても、誰も喜ばないよ! 迷惑掛けるだけ――――」
「――――分かってるんだよ、んな事ッ!」
 勇真が声を上げる。同時に、ベンチを強く殴った。
「進学諦めたくないから! 色んな事を調べて! 訊いて! 行動して! 全部駄目で!」
 怒りに満ちた瞳で薫子を睨む。
「お前に何が分かる!? 夢も! 才能も! 今までの事も! 全部否定されて! 全部認められてなくて!
 どうすれば良いか分からなくなって! 目の前が暗くて! 何も見えなくなって!」
 勇真の瞳に涙が浮かぶ。そして、ボロボロと大量に流れ出した。
「自分がどれだけ無力か思い知らされて……考えても考えても答えなんて出なくて……辛くて苦しくて……!
 嫌なんだよ……! 辛いんだよ……苦しいんだよ……!」
「高村君……」
 涙を流す勇真。薫子は黙って、彼を優しく抱きしめた。
 小さく、何度も「馬鹿」と怒る。
「だからって、死んだら駄目だよ……死のうなんて思わないでよ……」
「…………」
「私じゃ何もできないけど……話くらいなら聞けるよ? 一人で悩まないで、少しは頼っても良いんだよ……?」
「……っ……っく……っく……」
 手で顔を隠し、声を殺しながら、勇真がついに堪えていた辛さを吐き出して泣いた。
 そして、薫子は黙って勇真を抱き締めていた。



 夜20時。夏とは言え、流石に辺り一面真っ暗闇。
 公園のベンチの上にある電灯に照らされる中、落ち着いた勇真は薫子に何があったか全て話した。
 進学を諦めろと言われた事、目の前で合格証を破られた事、殴られた事全て。
 そして、進学する為の方法を調べ、色々と行動した事も。聞いていた薫子は黙っていた。
「…………」
「……認めたくなかったんだ、親や皆に言われた事を。俺には才能が無いって事を……。
 けど、現実はやっぱり厳しい……親の言うとおり、俺は運が良かっただけだったんだ……」
「そんな事……」
「良いんだ。もう、夢なんて……」
 勇真が唇を強く噛み、顔を俯く。辛いのだと、薫子はすぐに分かった。
「……高村君の夢って、何?」
「…………」
「教えて? 私、高村君の事を知りたい。高村君が進学して叶えたい夢って、何?」
「……と」
「え?」
「……俺は、クリエイターになりたい……子ども達が楽しんでくれる作品を作れる人になりたい……」
 自分も小さい頃、色々な物を通して、楽しい気持ちで一杯だった。
 そして思った。自分もこうなりたいと。同じように、楽しい気持ちで一杯に出来る人間になりたいと。
 それが、勇真の夢だった。小さい頃からずっと抱いている夢。
「……子ども達に夢を持たせる人……俺はそうなりたい」
「……それが、高村君の夢なんだ……凄いね」
「凄くない。色々と迷走したし、たくさんの事をやって、どんな事で出来るか考えるだけで時間掛かったから」
「凄いよ。小さい頃からずっと夢を持ってて、ずっと変わる事なくて」
 一つの夢を叶える為だけに、ずっと努力してきた。そう、薫子は捉えた。
 だからこそ、あの桜野祐一は勇真を認めていたのだ。夢の為だけに必死になれる勇真を。
 薫子が勇真の手を取り、優しく握る。勇真が目を見開く。
「……!?」
「進学が無理でも、夢は諦めたら駄目だよ。そんなに素晴らしい夢なんだもん、諦めたら駄目だよ」
「けど、ちゃんとした勉強しないと……その為の進学だったから……」
「別の方法を探そうよ。大変かもしれないけど、辛いかもしれないけど……でも、高村君なら大丈夫だよ」
「そんな事……」
「あるよ。だって、ずっと夢の為に頑張ってきたんでしょ? 力にはなれないけど……私も応援するよ」
 薫子の言葉に、勇真の目から涙が零れる。勇真は泣き出した。握られた手を握り返す。
「……俺、捨てなくて良いのかな……?」
「うん」
「……俺、まだ持ってて良いのかな……?」
「うん……」
「……俺は……俺はっ……! 俺は夢を叶えたいっ……! 捨てたくないっ……!」
 勇真の本当の気持ち。勇真の言葉を聞いて、薫子は笑顔で頷いた。その目に涙を浮かべながらも。
 そんな彼女を見て、勇真がぎこちなくも笑顔を作り、返すのだった。

 そして、勇真は再び涙を流し、大きな声で泣いた。



 夢の為に、もう一度頑張ろうと言う想いを胸に。






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