変だった。異世界ネセリパーラに行ってから後の生活が。
サエコは去年交通事故で亡くなり、父は数年前に他界していると言う事になっている。
なぜか、ネセリパーラで起きた出来事が、地球で修正されている。
祖父が言うには、“因果律”によって、行われたらしい。地球と異世界の調和を保つ為に。
「“因果律”か……」
授業中にシャープペンシルをくるくると器用に回し、ハヤトは考え事をしていた。
聖戦以来、ずっとこの調子だ。自分でも不思議に思う。
「アリサは……元気にしているのかな……?」
あの日――――地球へ帰った日、アリサと約束した。
いつかまた、君に会いに来る。それが彼女との約束。
けれど、まだその約束は果たされていない。いや、果たせないのだ。
戦いが終わってから、霊力が失われていた。お蔭で、戦う事などできなくなった。
「会いに行きたいよな……」
外を眺め、ただ彼女の事だけを考えていた。
授業が終わって昼休み、やっと昼休みかと言わんばかりに、ハヤトは背を伸ばした。
学校の食堂で昼食を取るのだが、今は混む為に、弁当を持ってきているクラスメイトの所へ行く。
中学の頃、天才と言うだけで避けられていたが、高校ではそうはなかった。
と言うよりは、同じ中学の人間が、ハヤトと同じ高校に入学していないのだ。
「神崎、漫画読む?」
「ああ。まだ時間あるし」
クラスメイトの一人に漫画本を借り、近くの机に座って読み始める。
今、クラスでは昔の漫画が流行らしく、十年くらい前に人気だった漫画とかの方が多い。
ハヤトは軽く目を通しながら、内容を理解していく。
「そう言えば、お前ってこう言う恋愛物が好きだよな」
ハヤトは自分が読んでいた漫画の表紙を見ながら言った。
「それなりに飢えてるんだよ、俺は」
「だからって、漫画のような展開になるわけないだろ。特に――――」
異世界から女の子が主人公に会いに来る場面とか、そう言う前に顔が曇った。
アリサの事を思い出したからだ。今思えば、信じられない。
漫画のような展開が、こうやって現実に起きている。しかも、主人公は自分。
不思議な気分だ。こうやって、普通じゃ絶対に在りえない事を体験しているのだから。
「どうした?」
「いや、何でもない。そろそろ時間だから、学食に行くかな」
同じように学食へ行く人間を探し、ハヤトは漫画を返した。
放課後になると、色んな場所で部活の話が出てくる。
そんな中、ハヤトは空を眺めていた。
「……会いたいな」
「誰と?」
質問されたので、相手の顔を見る。
ロングウェーブのかかった黒髪が特徴の、どこか令嬢を思わせる女子生徒。
ハヤトは再び空を眺め始めた。
「それは教えられないよ」
「どんなに頼んでも?」
「当たり前だよ。片桐さん」
女子生徒の名前は片桐美香。クラスメイトであり共に学級委員を務めている。
「そう言えば、今日は来ていないね」
「誰が?」
「美咲ちゃん」
その名を聞いて、ハヤトはため息をついた。「やっぱりね」そう言いながら。
美咲とは、紺野美咲と言う一年下の後輩だ。美香と同じ中学校だったらしい。
「けど、モテモテだね。追っかけとかファンクラブとかあるんでしょ?」
「……俺って、そんなに人気あったわけ?」
「今まで気づかなかった?だって、入学してから、ずっと全国1位の成績をキープしてるんだよ。
しかも、全教科満点をキープ。その上、ルックスも結構あるし、皆から信頼されているし」
「……過言評価してるって」
確かに、全国模試は全教科100点を必ず取っていた。
しかし、それ以外の面で人気があると言う事はなさそうに思えたのだが。
鞄を手にし、今日は早く帰ろうと思ったその時、彼女は現れた。
「先輩〜♪」
子供のような声を放ちつつ、ツインテールの少女が現れた。
紺野美咲。そう、彼女が本人である。
「……遅かった」
「あのね……」
「先輩、今日はクッキーを焼いて見ました♪」
そう言って差し出される。普通に焼かれたクッキーがそこにあった。
ふと不思議に思う。こいつは料理が下手だったはずだ、と。
「お前が焼いたのか、本当に?」
「はいっ!」
「…………」
その言葉を聞き、やや戸惑ってしまう。
こいつの料理と呼べるものを食べた事は複数ある。しかし、それが美味いか、不味いか。
答えは後者だ。見た目は普通の料理なのだが、味の問題である。
「食べてくださいっ」
「……分かったよ」
どうせ食べなければ、あとで大変な事になるだろうから従う。
クッキーを一枚、一口で食べた。
なぜか、酸味があった。ジャムとかは塗られていない、ただのクッキーから酸味が。
「……独創的な味だな」
「そうですか?あ、部活があるから失礼しまーす!」
そう言って、手を振りながら走り去っていく。
美香がハヤトの顔を窺いつつ、味を訊いてみる。
「どうだった?」
「食べて見れば分かるよ」
差し出す。すると、彼女も一口で食べた。表情が歪む。
「……どうして酸味がするのかな…………?」
「俺が知りたいよ、俺が……」
二人とも苦笑する。やはり、と言った感じで。
「もう一枚、いるか?」
「遠慮しておくね。だって、美咲ちゃんに悪いもの」
しかし、それは逃げの口実だと言う事を、ハヤトは誰よりも理解できていた。
今思えば、美咲こそが追っかけなのではないかと思う。
(アリサは、料理とかするのかな……)
空を見上げつつ、ハヤトは物思いに耽っていた。
家に帰ると、ハヤトはすぐに部屋から剣を持ち出した。
祖父から譲り受けた、ネセリパーラへ行ける唯一の手段でもある剣だ。
剣を構え、目を閉じ、集中し始める。
「…………」
風が吹いているのがよく分かる。いや、風以外の音が聞こえていない。
神の領域と呼ばれる“聖域”の集中力だ。それは凄まじいほどである。
「……駄目か」
剣の反応を窺いつつ、ハヤトは目を開いた。
ネセリパーラへ行くには――――アリサへ会うには、この剣が必要だ。
しかし、剣は反応しない。その原因も分からない。
「やっぱり、霊力の問題かな……」
「いやはや、いくら申請しているからと言って、無闇に剣を外に出さないように」
メガネをかけた、細身のサラリーマン風の男が後ろから声をかけた。
「シュウ兄……」
「そこまでして、ネセリパーラへ行きたいのですか?」
「当たり前だろ」
ハヤトは答えた。男は「そうですか」と返す。
シュウハ・カンザキ。それが男の名だ。ハヤトの従兄であり、純粋な《霊王》の血を引く人間。
昔はとんでもない不良だったらしいが、今では普通のサラリーマンである。
「一ヶ月経ったんだぜ。俺がネセリパーラで戦ってから」
「ええ」
「今でも、信じられないんだよ。巨大なロボットに乗って戦うなんてさ。
まるで、漫画とかに出てくる主人公みたいで、不思議だよ」
「なら、なぜネセリパーラに行きたいと?」
「それは……」
剣を鞘に収めつつ、ハヤトはシュウハの方を向いた。
「……会いたいんだ。今、俺が好きな人に、会いたいんだよ」
無理に作った笑顔で、ハヤトは今の気持ちをぶつけた。
次の日、休み時間になると物思いに耽っている時間になっていた。
空が青い。果てしなくどこまでも青い。いや、今はそんな事を考えている場合じゃない。
アリサに会いたい。会って、色々と話がしたい。
「どうやったら……」
どうやったら、ネセリパーラへ行く事が出来るだろうか?
今までの《霊王》達は、祖父を除いて全員戦いの中で命を落とした。
そして、祖父ですら、聖戦が終わってからは一度もネセリパーラへ行っていない。
「いや、待てよ……」
確か、アリサとは幼い頃に出会い、その時も約束をした記憶がある。
そう、あの時は、彼女の方から地球に来ていた。
ネセリパーラから地球へ来る方法はあると言う事だ。しかし、それも当然だと思う。
異世界では、地球よりも科学の発展が著しかった。そのせいで緑がないわけだが。
「どのみち、地球から異世界は無理なのか……?」
空を眺めつつ、ハヤトは悩んだ。
「先輩、元気ないですね」
「まあな」
美咲の言葉に、ハヤトは鞄を背負った。今日は昼までなので、結構暇である。
「じゃあ、喫茶店かどこか行きませんか?元気出ますよ!」
「いや、遠慮しておく」
手を軽く上げ、「じゃあ」と言いつつ、ハヤトは下校した。
早くも家にたどり着き、いつものように玄関を開ける。
すると、物凄く速い、いかにも重そうなパンチが飛んできたので受け止める。
受け止めた瞬間に、高回転しているような感覚がしたので、かなり重いコークスクリューだ。
「玄関開けた瞬間にコークスクリューはやめてくれ……」
「ま、受け止めたんだから良いじゃないか」
「良くないよ……それで、今日はどうしたのさ、コト姉?」
艶やかなストレートの長い黒髪でモデル体質の女性――――大人の女を思わせる従姉にハヤトは訊いた。
名はコトネ・ミヤナカ。シュウハの姉でもある彼女は、煙草を取り出して口にくわえた。
「たまたま遊びに来たら、お前に客が来てたからね。その相手だよ」
「客……?」
コトネが横へ移動する。彼女の姿で隠れていた人陰が見えた。
淡い緑色の瞳が、こちらの姿を見て微笑む。
「え……?」
嘘だと思った。けれど、目の前にあるのは現実だ。夢だと言えば、コトネに殴られる事は分かっている。
「アリサ……」
「ハヤトさんっ」
突然抱きつかれ、ハヤトは戸惑った。しかし、すぐにハヤトも抱きしめる。
今まで会いたかった人の温もりが、今伝わってきていた。
アリサは、ハヤトの顔を見つめた。
「会いたかったです、ハヤトさん」
「……ああ。俺も、会いたかったよ」
彼女の髪を撫でる。サラサラとして、少しくすぐったい気持ちだった。
アリサが目を細めて微笑んだ。
「で、いつまで人様の前でいちゃつくんだい?」
「あ……」
「あ……」
二人揃って、コトネの事を忘れていた。すぐに離れる。
コトネはハヤトの肩に腕を置き、「お前も罪に置けないな」と言ってくる。
しかし、妙に肩が痛い。どうやら、力を込めているようだ。
「そ、それより、どうして?」
「あ、はい。ハヤトさんに会いたかったから……」
「そうじゃなくて、どうやって?」
どうやって地球へ来たんだ、そう言おうとした。しかし、アリサが続けて答えた。
「アランが作った時空移動装置で……」
「……あいつって、科学者じゃなかった?」
「でも、霊力機を作ったのはアランですよ」
アリサは微笑んでいた。ハヤトは苦笑する。
「さて、立ち話もなんだし、他にも客は居るんだから居間に行くよ」
コトネにそう言われるまで、動こうとしなかった。
居間に行くと、祖父の他に老婆が一緒にいた。
「久しぶりだね、ハヤト」
「グラナ!?」
グラナ・エルナイド。アリサの祖母にして、《星凰》を夫とする女性だ。
昔、祖父達、霊戦機操者のサポートとして、戦艦イシュザルトの艦長を今でもやっている。
「一体、何で?」
「まあ、用があったからね。アリサの事で」
「アリサの事で?」
「ほっほっほ。正確に言えば、お前とアリサの事じゃの」
ずずず、と目の前に置かれている湯飲みに手を出し、飲みだす祖父が答えた。
何か嫌な予感がする。祖父絡みの嫌な予感が。
ハヤトは祖父の向かい側へ座ると、睨みつけるように祖父を見た。
「どう言う事だ?」
「ふむ。あれは、お前が生まれて数ヶ月過ぎた事じゃった」
なぜか回想に浸ろうとしている。ハヤトは殴りかかりたかったが、止めた。
少年が生まれて数ヶ月が過ぎた頃、神崎家の電話が鳴り響いていた。
獣蔵はやや面倒臭そうに受話器に手を伸ばし、取る。
「なんじゃ?」
『電話を取ってから、第一声がそれかね、お前は……』
「新聞なら間に合っとる」
『そうじゃない!私だ、フォーカスだ!』
受話器の向こうの彼は怒鳴った。獣蔵は「ちょいとした冗談じゃ」とあっさり答える。
フォーカス・エルナイド。アリサの祖父であり、先代《星凰》として戦った男だ。
「それ、なにか用かの?」
『ああ。獣蔵、ついに私にも孫が生まれたぞ』
「おお、良かったのう」
ほっほっほと笑いながら、獣蔵は友の喜びを祝っていた。
今思えば、五十数歳なのに、すでにじじいと化している。
『しかし……』
フォーカスが嘆いている。
『なぜ孫息子じゃないのだ……』
「何?おぬしの所は孫娘か!?」
獣蔵の眉がぴくりと動いた。
『?そうだが……』
「ちなみに、わしのところは孫息子じゃ」
両者、しばらくの間黙り込む。
そして、お互い同じ意見を考えていたらしく――――
「許嫁成立じゃ!」
『許嫁成立だ!』
そこで、祖父の回想は終わる。
「って、許嫁ぇ!?」
ハヤトは驚いた。獣蔵はほのぼのとした顔で頷く。
アリサは、ハヤトの隣に座ったまま、静かに頬を赤くしていた。
「そうじゃ。良い話じゃろ?」
「良い話じゃない!あんたは、そんな事だけで孫の将来を決めるんじゃねえよ!」
「何を言うか。成立していなくとも、どうせ会いたかったのじゃろ」
「う……」
痛いところを突かれた。まさにそうである。
「ほっほっほ。まあ、しばらく仲良くの」
「……どう言う意味だよ?」
「しばらくの間、ネセリパーラでエンジョイしてこようと思っての」
「……しばらくって、どれ位だよ?」
「ざっと、一年以上かの」
「アホかぁ!」
ちゃぶ台を叩き、ハヤトは怒鳴りつけた。
「一年もの間、俺とアリサとサキの三人で暮らせって言うのか!?」
「気楽で良いじゃろ?」
「良くない!一つ屋根の下で年頃の男女が暮らすのはヤバイだろ!」
もっとも、まともな意見である。
「何を言う。許嫁なんじゃから、気にせんで良いぞ」
「気にするってば!」
「コトネとシュウハもおるから、どうにかなるじゃろ」
どのみち、ハヤトの抵抗は無駄なものであった。
コトネは後ろで煙草を吸いながら、「まあ、面白そうで良いか」と呟くのだった。
肩を落としたまま、ハヤトは自分の部屋のベッドで横たわっていた。
祖父とグラナは、本当にアリサを残してネセリパーラへ還ってしまった。
「あのじじい……」
などと怒りが込みあがるわけだが、内心はとても嬉しかったりする。
ネセリパーラで、彼女は俺の事を見ていてくれた。ヴァトラスのコクピットで、微笑んでいた。
どこか心が落ち着けるほど、アリサと一緒に居る事が嬉しかった。
「ハヤトさん」
扉越しに、アリサの呼ぶ声が聞こえる。ハヤトは起き上がった。
「何?」
「……入っても良いですか?」
「え?まあ……別に良いけど……」
立ち上がり、ハヤトは扉を開けた。アリサの姿が目の前にあった。
彼女は、床にクッションを置いて座る。椅子に腰掛けながら、ハヤトはアリサの方を見ていた。
「許嫁、か」
「え?」
「いや、何でもない。……けど、アリサに会えて嬉しい」
その言葉に、アリサは目を細めて微笑んだ。
「私もです。私も……ハヤトさんに会えて嬉しいです」
「話は変わるけど、学校とかどうするの?アリサは、俺と同じ年だし……」
「はい。シュウハさんが手続きをしてくれたみたいで、ハヤトさんと同じ学校に」
「……シュウ兄も動いていたわけだ」
苦笑する。まさか、従兄のシュウハもこの事は知っているようだ。
確かに、あの人なら高校編入の手続きなど、簡単にやってしまうであろう。
「けど、これから、一緒にいられるんだよな」
「はいっ」
なぜか、彼女が笑顔だと、こっちも笑顔になる。
会いたかった人が、今、目の前にいる。それだけで嬉しい気持ちだった。
二人のドキドキ新生活が、祖父の陰謀(?)によってスタートした。
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