『だからよぉ、誕生日の時くらい還ってくれば良いじゃん』
「駄目よ。それに、まだハヤトさん、留学から帰ってこないし……」
久しぶりに聞いた異世界に住む弟の電話で、アリサは少しため息をついた。
彼が海外留学して三ヶ月がようやく経とうとしている。
『姉ちゃん、留学って何だよ? 兄貴、今いないの?』
「留学って言うのは、違う国でお勉強する事なの」
『勉強ね……科学だけなら得意かもしれない』
科学者なのだから得意でしょう、とアリサは言いたい気持ちだった。
ハヤトが帰ってくる日は、ちょうど彼女の誕生日を次の日として迎える時だった。
アリサは電話を切り、少し寂しげな瞳で呟いた。
「ハヤトさん、まだ帰って来ないのかな……?」
少しでも早く彼に会いたい。そんな想いが溢れていた。
ハヤトはどんな時でも全国トップの成績を維持し、学校側にとっては誇りに思える存在だ。
そして、本人が気づかないうちにファンクラブなども結成されている。
「あの……先輩、まだ帰って来ないんですか?」
ハヤト達の後輩であり、ハヤトに恋心を抱く彼女――――紺野美咲はアリサに訊いた。
アリサは少しだけ頷く。
「あれから、電話も……」
ある程度の連絡は取り合っていたが、この頃は何も音沙汰がない。
美咲は怒った顔で、独り言を呟いていた。
「全く、こうして先輩を想ってる女の子がいるのに……留学なんてしなければ良いんです……!」
ハヤトはその日、不思議な感覚に襲われていた。
ヴァトラスに出会った時のように声が聞こえる。頭に響くような声が。
「…………」
ただ静かに声をハッキリ聞く。聞こえるのは、何かが羽ばたく音。
そして鳥の鳴く声。どこか悲しく、それでいて何かを伝えようとしている。
「……俺に何を伝えたいんだ?」
問いかける。しかし答えは返ってこない。
ただ翼が羽ばたく音と、鳥の鳴き声しか聞こえない。
「一体、何だよ……?」
あれから――――操られていたロイ・チェンダーソンを気絶させてから気になっていた。
人の心を操り、そしてその人間を通じてゴーレムなどを作り出す力。
そして、黒い波動の威力。どれを取っても今の俺には勝るものがない。
翼が羽ばたく音、鳥の鳴き声が耳障りだった。
その時聞こえた。鳥の鳴き声から聞こえる“声”が。
……光が……闇に消える……。
「闇に消える……?」
どういう事だろう? 光が闇に消えると言う事は、全世界の未来を意味しているのか?
それとも、何か別の事を伝えようとしているのか分からない。
「光、か……」
ハヤトはしばらく考え込んだ。
家に帰り着くと、一頭の大きな犬が庭中を駆け回っていた。
その背中には、彼の妹が乗っている。
「あ、お姉ちゃん!」
犬に乗ったまま、少女はアリサの方に近づいた。
アリサは犬の頭を優しく撫でながら、少女――――サキに訊く。
「サキちゃん、どうしたの? この犬……」
「拾ったの! 帰る途中で見つけてきたの!」
「拾ったの……?」
アリサはすぐに犬の首に手をやった。犬は大人しいのか、抵抗してこない。
首輪はしていない。誰かの飼い犬だと思ったのだが違うようだ。
サキは犬から降りると犬の頭を撫でる。
「お姉ちゃん、飼って良い?」
「え……?」
「この犬、飼っても良い?」
ある程度予想していたが、アリサは答えられない。
この家は自分の家ではない。サキの家でもあり、ハヤトの家だ。
勝手に決めてはいけないだろうと思う。
「お姉ちゃん、ダメ?」
「コトネさんに訊いてみようね。あと、ハヤトさんにも」
「は〜い!」
やや引きつった顔で、コトネはその犬を見ていた。
どう見てもゴールデンレトリーバーだ。こんなに人気の高い犬を拾うなど絶対にない。
「……サキ、本当に拾ったのか?」
「拾ったよ」
「本当なんだな?」
「本当だよ……コトネお姉ちゃん、なんだか怖いよぉ……」
実はと言うと、コトネは、犬はあまり好きではない。
彼女は猫が好きであり、本音としては犬ではなく猫を拾って来いと言いたいように思える。
ほのぼのとした表情で茶を飲みながら、シュウハはコトネをなだめた。
「まぁまぁ。姉さんも怖い顔をしないでください。サキは嘘をつくような子ではありませんよ。
それに、飼っても姉さんが面倒を見るわけでもないですし」
「いや、あたしが考えてるのはそっちじゃないんだよ」
コトネはソファに腰掛けると、サキの方をじっと見る。
「サキ、犬って言うのは階級をつける習慣があるんだ。つまり、飼い主を自分で判断するんだよ。
ハヤトがいない今、そいつを飼えばハヤトは敵として見られても変じゃない」
「ああ、姉さんが考えていたのはこちらでしたか」
ポンと手を叩き、ほのぼのとシュウハはしていた。
コトネはシュウハの頭を殴る。サキはやや頬を膨らませながらもコトネに反論した。
「大丈夫だもん! ケモノはすっごくおりこうだから!」
「ケモノ……まさか、そいつの名前とか言うんじゃないだろうね?」
「うん! ケモノだよ!」
この一言に、さすがのコトネも驚かないわけにはいかなかった。
ハヤトの妹にしては、どこか外れている性格だと思っていたが、これほどだったとは。
名前のネーミングの良さなど全く考えていないだろうとコトネはため息をつく。
「サキ、もう少し良い名前はなかったのかい……?」
「ケモノ」
「…………」
訊いた自分が馬鹿のように思えてくる。
「はいはい。サキがそこまで言うのならば、この犬を飼いましょう。
しかし、ちゃんと面倒を見ないとアリサさんが大変になるので注意しなさい」
「おい、シュウハ!」
コトネの前に立ち、シュウハはほのぼのと頷く。
「大丈夫ですよ。ああ見えて、サキは真面目な子ですよ。姉さんと違って」
次の瞬間、コトネのコークスクリューがシュウハを襲った。
留学してから三ヶ月。しかし、ハヤトは予定の日に帰って来なかった。
シュウハが向こうに連絡し、事情を聞いている。
「なるほど。分かりました」
「で、ハヤトが帰って来ない理由は?」
「はい。簡単な事です」
シュウハが軽くため息をつく。
「……ハヤトは、予定を忘れて修行をし、先ほど気づいたようです」
「…………」
それを聞いて、コトネは怒りを堪えていた。
シュウハには思った。今のコトネにクルミを四個握らせれば一瞬で全て砕くだろう。
それほどまでに、コトネは怒っている。
「ねぇねぇ、お兄ちゃん帰って来ないの?」
「いいえ、帰って来ますよ。少しだけ遅くなるだけです」
サキは「え〜!?」と拗ねていた。兄が帰って来ないと聞いて嫌だったらしい。
その隣で、アリサはペンダントを握り締めていた。
留学する前に渡されたペンダント。二人の想いを繋いでくれるペンダントを。
アリサは少しだけしゃがみ込み、サキの頭を優しく撫でる。
「サキちゃん、もう少しだけ我慢しよう? そうすれば、ハヤトさんも帰ってくるから。ね?」
「うん。我慢する!」
実の姉のように慕ってくれるサキの頭を撫でながら、アリサは悲しそうだった。
まだ彼と会えない。そう思うのが辛いと感じた。
ハヤトはまだ帰って来なかった。予定から一週間が過ぎている。
そして、今日はアリサの誕生日だ。
ネセリパーラと地球の月日はほとんど違いがなく、時間の誤差もない。
ただ、“因果律”を利用して異世界に行く以外は、時間のずれは生じないと言っても良い。
「まだ、帰って来ないのかな……?」
窓から見える空を眺めながら、アリサは物思いに耽っていた。
「神崎さん。聞いたよ、今日は神崎さんの誕生日なんでしょう?」
二人の女子生徒がアリサに近寄る。学級委員の片桐美香と風紀委員長の御堂えんなだ。
アリサは小さく頷いた。えんなが少し怒った口調でぼやく。
「全く、神崎も何やっているんだろうね? 留学期間過ぎているから、欠席扱いだし」
「一大事か? ならば、俺の出番だな」
話の内容を聞いていないのか、加賀見陽平は言った。
「……か、加賀見君、話を聞いてた?」
「聞いていたぞ。ハヤトが行方不明であり、探すのだろう?」
「違うわよっ!」
かなり大きい小槌が陽平を襲う。
えんなは荒く息を吐き捨てながら、その小槌を肩に担いだ。
「ど、どこからそんな物を……?」
「企業秘密よ、企業秘密。大体、あんた、私の話を全然聞いていないわよ!」
「いや、ちゃんと聞いている。ハヤトが行方不明なのは確かだろう」
「だから違うわよ!」
再び小槌が陽平を襲う。今度こそ死んだな、えんなは鬼のような事を思っていた。
そんな事にも目をやらず、アリサはただ空を眺めている。
まだ帰って来ない事が心配だった。慌てて美香がフォローする。
「だ、大丈夫だよ。神崎君って、ちゃんと計画立てて動いているから……」
「はい……」
全然フォローになっていないと思ったのか、美香はため息をついた。
ようやく帰ってきた我が家。そんな風に思いながら、深いため息をつく。
修行に集中にしていたせいで、留学の期間の事など完璧に忘れていた。
向こうで従兄に言われた事もやってはいたが、どうも駄目だった。
「……三ヶ月も帰らなかっただけで、かなり懐かしいな」
「わんっ」
門を抜けた瞬間、意外と大きな体を持った犬に倒される。
犬は嬉しそうに尾を振りながら、ベロベロとハヤトの顔をなめ始めた。
「こ、こらっ、やめろ……」
「ケモノ〜、ケ・モ・ノ〜!」
遠くから呼ばれる声に反応し、犬はすぐにその方向へ走っていった。
ハヤトは苦笑した。「……ケモノって、犬の名前?」などと呟きながら。
しかも、案の定、その声の持ち主は我が妹だ。
「ケモノって……はぁ」
何かを察したのか、ハヤトは深くため息をついた。
犬と一緒に妹のサキが近寄り、大騒ぎしながら喜んでいる。
「お兄ちゃんだぁ! お兄ちゃんが帰ってきたぁ!」
「……サキ、この犬は?」
「拾ったんだよ〜! ケモノって言うの!」
「わんっ」
そのネーミングの悪さに、ハヤトは呆れる。
誰に似たのか分からない妹だけではない。その名前を気に入っている犬にも呆れていた。
とりあえず、荷物を家の中に置こうと思い、玄関を開けようとして立ち止まる。
「そう言えば、予定より遅れちゃったんだよな……」
アリサの事を思うと、やはり気まずい。
三ヶ月もの間、帰りを待ってくれていた大切な人に何を言って良いのか分からない。
しかも、予定を過ぎて帰ってきた事で、彼女は許してくれるかどうか不安だ。
そんな事を考えながら、ハヤトは葛藤していた時に玄関が開いた。
「あ……」
「え……?」
きょとんとした顔で二人とも互いを見て驚く。
ハヤトはすぐに微笑んだ。彼女の顔を見ると、どこか嬉しかった。
「……ただいま」
精一杯の思いでその一言を放つ。アリサは優しい笑顔で応えた。
ハヤトに抱きつき、アリサは顔を胸にうずめた。
彼女が抱きついてきた事に驚き、ハヤトはどうすれば良いか分からなくなった。
「……おかえりなさい。ハヤトさん」
「アリサ……」
彼女の一言を聞いて、ハヤトも彼女を抱きしめた。
小さくて細い彼女の身体。強く抱きしめると、どこか壊れそうで怖い。
会いたかった人、大切な人である人が、今ここにいる。
「……ごめん、遅くなって。アリサに心配寂しい思いさせて、ごめん」
「……いいえ。だって、こうやってハヤトさんの側にいます」
アリサの身体が小刻みに震えている。
彼女は泣いていた。大粒の涙を瞳に浮かべ、ハヤトの顔を見つめている。
「……不安でした……。ハヤトさんが帰って来ないから……私……私……」
「……うん。でも、もうどこにも行かないから。アリサの側にいるから」
彼女の肩に手を置き、ハヤトは彼女の顔を見つめた。
アリサもそれに応じ、静かに瞳を閉じる。そして――――。
「渾身のラリアット! ……なんて言わないけどね」
ラリアットなどと言いつつ、コークスクリューがハヤトを襲う。
早くも見切り、避けたはずのハヤトだったが、見事にその一撃を受けた。
指の骨をぽきぽきと折りながら、コトネが拳を構えている。
「遅い帰りだね……。えぇ、ハヤト?」
「こ、コト姉……いや、その……」
「いやはや、予定よりも四日遅くなるとは、たまげたと言うか度胸があると言うか……」
第四者登場。呆れながらもシュウハも拳を構えている。
ハヤトはその時冷や汗を額に浮かべた。死ぬと言わんばかりに。
いや、死んだ方が幸せだろう。この二人の前では。
「この……馬鹿者が!」
「いやはや、容赦はしないと言う事で」
その時、ハヤトは恐怖を感じた。
全国トップの成績を持ち、《霊王》である彼にとって、二人は鬼だろう。
居間で、ハヤトは留学中の出来事を全て話した。
《神の竜》と《神の獅子》の事。ロイと言う向こうで何者かに操られた奴と戦った事。
そして、今まで感じた事のない強さを知った事を。
「つまり、お前の敵となる存在の情報は、その強い力を持っていると言う事だけ」
「ああ。人を操り、なおかつゴーレムを生み出すほどの力……」
シュウハの言葉に頷き、ハヤトは目を細くした。
「ハッキリ言って、強い。今の俺じゃ……霊力を持たない俺じゃ勝てない」
「利益はなかったのか?」
ハヤトは首を横に振った。
「いいや、“聖域(=ゾーン)”と言う領域に入れる事が分かった」
「“聖域”か。ハヤト、気づくのが遅かったな」
「何……?」
ほのぼのとコーヒーを飲むシュウハを前に、ハヤトは目を見開かせた。
コトネも渋々呆れている。「今頃気づくな」と呟きながら。
「究極の集中力と呼ばれ、神々の領域である“聖域”。お前は前から入れる。
前聖戦で戦艦イシュザルトの艦長グラナが、お前の事をそう言っていた」
「……じゃあ、俺がヴァトラスに乗っている時に?」
「戦いの時、無意識に“聖域”に入れるようになった」
「俺って一体……?」
嘆く。今まで自分がどう言う事になっていたのか知らなかった自分に嘆く。
確かに覚えがある。気づけばヴァトラスが自分の手足のように動いた事もあった。
まさか、あれが“聖域”とは思っていない。
「それで、今さら“聖域”に入れる事を知って、どうしたんだい?」
コトネが訊いてくる。ハヤトは静かにため息をついた。
「……修行して、どんな時でも“聖域”に入れるようになった。
あと、やっと秘儀を完成させたんだ。俺だけの剣技メテオ・オブ・シャインを……!」
「凱歌・閃を完成させたか……まあ、お前にしては上出来だ」
その言葉を残して、シュウハは静かに立ち上がった。
コトネが「どこに行く気だ?」と声をかけ、シュウハの足を止める。
「神崎家の有力な霊力者達と共に、ハヤトの本当の敵となる存在の情報を掴みます。
やはり、能無しのハヤトに三ヶ月の猶予は短かったようですので」
「能無しって……酷いな、シュウ兄……」
鬼のような言葉を自然に発する従兄に、ハヤトは苦笑した。
その日の夜、アリサは月を眺めていた。
異世界で見る月とはまた違った感じがして、どこか好きだった。
「隣、良いかな?」
そう言いつつも、ハヤトはアリサの隣に立つ。
アリサはハヤトに寄り添い、口を開いた。
「地球で見る月と、ネセリパーラで見る月では、やはり違いますね」
「そうかな?」
「はい。だって、ハヤトさんがいる世界の月だから……」
その言葉にハヤトは照れた。
「アリサ、これ」
「はい?」
ハヤトの手の平に置かれた物を見る。そこに光が集まっていた。
留学の時、《神の竜》と《神の獅子》について教えてくれた先代《炎獣》ラダンドに教えてもらったものだ。
霊力がなくてもできるらしく、ハヤトはこれを身につける為に修行をしていた。
「ハヤトさん、これは……?」
「俺から、アリサへのプレゼント。誕生日おめでとう」
「あ……」
知っていてくれた。アリサにとって、それが嬉しかった。
留学中にアリサの弟アランに電話で聞き、ハヤトは初めて知ったのだ。
そもそも、どうやってアランが留学先の場所を知っているのかは謎であるが。
「これ位しか出来なくて悪いけど……」
「いいえ、私にとって最高のプレゼントです……」
互いを見つめ、二人はキスを交わした。
留学終了。そして、久々の学校生活をハヤトは送る事になる。
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