序章 ハヤトを守る者


 戦艦イシュザルトの医務室で、コトネはフィルツレント(=医者)に煙草を取り上げられた。
 いい加減目を覚まさないハヤトに集中力が途切れ、それを紛れさせていたのだ。
「全く、いつまで寝てるんだ、こいつは?」
「まぁまぁ。あの過去を無理に思い出させられたのです。無理もない」
 シュウハが言う。そして、ハヤトの手を握り、不安な表情を浮かべるアリサの肩を軽く叩く。
「ハヤトさん……」
「大丈夫ですよ。今は、心の整理をしているはずです」
 しかし、ハヤトからは相変わらず霊力が感じられない。
 おそらく、先ほどの戦いはヴァトラスによる行動だろうが、変だ。
 普通、霊戦機は霊力を必要とし、その霊力が無ければ動かないはず。
「姉さん、嫌な予感がします。おそらく、ハヤトは……」
「過去を彷徨い続ける、か?」
「いえ、それもありますが、別の予感です」
 そんな時、ハヤトが目を覚ました。半身を起こし、周りを見回す。
 手を握っていたアリサがすぐに抱きつく。
「ハヤトさん……良かった……目を覚ましてくれた……」
「……?」
 しかし、ハヤトはどこか違っていた。やや首を傾げている。
 その動きに、シュウハは早くも気づいた。
「やはり、そうですか……」
「どう言う意味だい?」
 再び煙草を取り出すコトネ。後ろでフィルツレントが「吸わないでくれ!」と激昂している。
 シュウハは静かに頷き、アリサをハヤトから遠ざけた。
 アリサが訳も分からずにシュウハの顔を見る。シュウハは首を横に振る。
「残念ですが、彼はハヤトではありません」
「え……!?」
「何だって?」
「うん……僕はハヤトじゃないよ、コトネ姉さん。……それと、アリサさん」
 彼の口から放たれる一言。ようやくコトネも頷けた。
 シュウハが彼の頭を撫でつつ、ゆっくりと話しかける。
「久しぶりですね、マサト」
 マサト、と呼ばれ、彼は目を細めた。
「……うん。久しぶりだね、シュウハ兄さん」
「なるほど。マサトか……」
「マサト、さん……?」
 フィルツレントを除いてただ一人、アリサは唖然としていた。



 二重人格。それが、ハヤトにも起きていた。
 ハヤトのもう一つの人格である少年は神崎雅人と言い、ハヤトが十歳の頃から現れ始めた。
「じ、じゃあ……その……マサトさんは……?」
「ああ。本来なら、“ハヤトの双子の兄”として生まれてくるはずだった奴だ」
 コトネの言葉にアリサは俯いた。
 マサトは生まれてくる時に脳髄がなく、死産だったと祖父も話している。
 また、その脳髄がハヤトにある事が判明され、事実上、ハヤトの脳髄は二つになる。
「マサトは、シュウハとの修行でハヤトが気絶した時に、ハヤトを守る為に現れた。
 霊力も何も持たず、ただその強い意思だけで、シュウハと互角の威圧感を持っていたんだ」
「……ハヤトさんは?」
「多分、今は眠っている。ハヤトに何かあった時だけ、マサトが目覚めるんだ」
 つまり、マサトが表に出ている以上、ハヤトが目を覚ます事はない。
 それを知ったアリサは、少し崩れ落ちた。
「ハヤトさん……そんな……」
「大丈夫だ。ハヤトは今、ほんの少しだけ休んでいるだけだ」
 まるで本当の姉のように、コトネはアリサを慰めていた。



 ハヤトは暗い場所にいた。ただ暗闇しかない場所に。
 どこか悲しく、寂しい瞳。自分の心を閉ざしているような瞳をしている。
「…………」

 ……悲しみ……君は……悲しいの……?

 その時聞こえてきた。声が。翼が羽ばたく音が。
 ハヤトは聞こえてきた方向へ視線を向ける。
 光に包まれた鳥が――――自分と同じ位の大きさの鳥がいる。
「誰……?」

 僕は光の鳥……君の心に住む鳥……。

「……何か、用なのか……?」

 君は乗り越える必要がある……悲しみを……寂しさを……。

「乗り越える……?」

 そう。今から君は……全てを乗り越える必要がある……。

 その瞬間、ハヤトは光へ包まれた。



 ヴァトラスの修復は予想通り早かった。流石は、自己修復機能を持つ機体である。
 この機能を霊力機にも取り込めればと思うアランだが、そこまでできないのが彼の限界だ。
 いや、こればかりは無理な事であろう。
「にしても、マサトって誰だよ!?」
 医務室に取り付けてある隠しカメラを見つつ、アランは唸っていた。
 ハヤトが目を覚まし、アリサが抱きついた所までは「おお!」と歓喜を上げていたりする。
「むむぅ、兄貴とは違うのか……?」
「いいえ、ただ二重人格と言う症状ですよ」
 いつの間にかアランの後ろに立っているシュウハ。アランは慌ててモニターを見る。
 気づけばシュウハの姿はない。だからこそ後ろにいるのか。
「に、二重人格ぅ!? それって何だよ!?」
「一人の人間が二つの人格を持つ事です。つまり、今のハヤトですね」
「……なるほど。んで、何か用か?」
「ええ。ブレーダーの動きが鈍いので、反応を少し上げてください」
 その言葉にアランは脂汗を浮かべた。
 霊力機ブレーダーは昔の機体だ。性能など、アランが知っているのは少しだけ。
「あと、アスティアの方は出力の調整を変えた方が、姉さんも扱いやすくなるので」
「……それ、俺に死ねって言ってるぞ」
「誰もそんな事は言いませんよ。まぁ、朽ち果てる程度まで頑張ってください」
 軽く鬼の様な発言をするシュウハだった。



 マサトは今までの経緯を全て知っていた。
 ハヤトが《霊王》としてネセリパーラへ召還され、《神王》として父を倒した事。
《覇王》を超える本当の敵が存在している事。
 そして、謎の敵二体に完膚なきまでに心を壊された事までも。
「それで、ハヤトは今どうしているんだい?」
「分からない。心の中でハヤトと会話しようにも、全くできないんだ。
 多分、ハヤトは今、自分の過去を乗り越えようとしていると思う」
「過去を乗り越える、か……。今のハヤトには難しいな」
「ううん、大丈夫。ハヤトには心強い味方がいるから。アリサさんと言う心強い味方が」
「え……?」
 アリサに向かって、マサトは微笑んだ。
「ハヤトが言っていたんだ。『アリサはとても大切な人で、どんな時でも俺を支えていた』って」
「……ハヤトさんが、そんな事を……?」
「うん。君の笑顔がハヤトにとって、とても大きな支えになっているんだ」
「ハヤトさん……」
 ハヤトからプレゼントされた指輪を見つつ、アリサは嬉しかった。
 どんな時でも彼の事は想い続けていた。そして、彼も想ってくれていた。
 それだけで嬉しい。アリサの今まで不安そうな顔から笑顔へ戻っていく。
「ふん、良い事を言うね」
「僕にはハヤトを守る事しか出来ない。ハヤトを救えるのは彼女だけだから」
 マサトはさらに続けた、「僕は、ハヤトみたいに強くなれないから」と。
 しかし、その瞳は実に生きている。コトネは煙草を取り出した。
「コトネ姉さん、ここは禁煙じゃなかったの?」
「煙草を吸うくらい好きにさせろ」
「僕に言われても、どうしようもないんだけど……」
 そんな時、やはりフィルツレントが激昂していた。



 イシュザルトのブリッジにて、今後の事が話し合われていた。
 まず、新艦長をどうするかであり、これには直々に先代《武神》ジャフェイルも加わっている。
「やっぱ、ここは副長のロフだろ、普通?」
 早く話を終わらせて、とっとと霊力機の改造をしたいと言う気持ちでアランは発言した。
 そのアランに対し、ジャフェイルが首を横に振る。
「いや、これはグラナと同意見だが、新艦長はアランを考えている」
「アランですか……!?」
「お、俺!?」
 くわえていた煙草を唖然と落とすロフ。どこか嫌そうな顔をするアラン。
「いつから!?」
「《霊王》である彼が地球へ還った頃だ。今のところ、イシュザルトを上手く動かせるのは、アランだけだ」
「おいおい、俺はシュクラッツだぞ!?」
「そんな事は関係ない。現に、私はシュクラッツでありながら、霊戦機の操者だったからな」
 最も、霊戦機に選ばれたので仕方がなかった訳だが、とジャフェイルは続ける。
 そんな時、シュウハが一つの提案を出す。
「まぁ、今の彼は艦長として未熟です。ここは、ジャフェイルさんでも?」
「いいや、生憎、艦長と言う性分は合わない。とりあえず、この件は保留だ」
 そして、ジャフェイルはブリッジのコンピュータを使い、モニターに何かを表示させる。
 暗黒騎士を思わせる機体と魔術師を思わせる機体だ。
 その映像を見つつ、シュウハが訊く。
「怨霊機、ですね?」
「……その通りだ。ヴァトラスとヴィクダートで全ての怨霊機は倒したはずだったが」
「おいおい、それじゃこいつらは!?」
「おそらく、新たに誕生した怨霊機だろう……」
 ジャフェイルの言葉に息を呑む。
 怨霊機の誕生。それは、人々の憎悪や欲望と言った感情による。
 この二体の怨霊機は新たに憎悪と欲望などの感情によって誕生し、ネセリパーラを破壊へ導いているのだ。
「厄介ですね。ハヤトの心を壊した敵は怨霊機のようではありませんし」
「本当の聖戦は、おそらくこれからなのだろう。しばし、遅かったな……」
 獣蔵が《霊王》だった頃なら、互角に戦えているかもしれない。
 敵の誰もが目視できない『無の太刀』を持ち、その戦闘センスは群を抜いていた。
「しばらくは、《霊王》なしで戦うだけだろうな」
 ジャフェイルは今の戦力を考えながら言うのだった。



 ヴァトラスが唸りを上げた。格納庫の中で突然に。
 それを感じて、マサトは静かに語りかける。
「……何か来るの?」
 その言葉に両目を光らせる。ヴァトラスは出撃しようとしている。
 しかし、操者のいない霊戦機の力など霊力機よりも弱い。
 マサトはヴァトラスに訊く。
「……僕に力を貸してくれる? ヴァトラス」
 ヴァトラスが手を差し伸べる。マサトは笑みを溢した。
 ヴァトラスが力を貸してくれる。これなら、ハヤトを守る事もできる。
「よし、行こう」
 ヴァトラスに乗り込み、マサトは軽く青い球体に触れる。
 そんな時、何が起きたのかを知りに現れたアリサが姿を出した。
 ヴァトラスの動きに気づく。
「……マサトさん、もしかして戦うんですか……?」
「うん。ハヤトを守るには、戦うしかないから」
「で、でも、ヴァトラスは……」
 ハヤトにしか動かせない。そう言おうとしたが、ヴァトラスの唸りに抑えられた。
 ヴァトラスが雰囲気だけで話しかけているように思える。「大丈夫だ」と。
 戦艦イシュザルトの格納庫のハッチが開き、ヴァトラスが翼を広げる。
「ハヤト、今は僕が戦う。だから、君は自分自身を取り戻すんだ……!」
 静かに呟き、そのまま出撃した。



 オペレータの側で様子を見ながら、コトネはハッチを開いた。
 今のヴァトラスで敵に勝てるかどうかは分からない。しかし、マサトは強い。
 そう、シュウハと互角の威圧感を持つほど心優しいマサトは強いのだ。
「イシュザルト、あんたはこの場で待機だ。まぁ、他の奴の命令を受けても良いけど、待機は維持しろ」
『了解』
 イシュザルトが了承する。コトネはそのまま格納庫へ向かう。
「さて、シュウハを連れて出撃するか、一応」
 その時、彼女の指示を受けて動いてしまったオペレータは複雑な気持ちだった。



 第二部終章 心の傷

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